読書日記 2011年

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教養としてのゲーム史 多根清史 ちくま新書 ★★☆☆☆

ここでいう「ゲーム」とは、いわゆるコンピュータゲームのことである。などと断りを入れる必要もないほどに、もはやコンピュータゲームは我々の生活に深く浸透している。「テレビゲーム」「ビデオゲーム」という言葉自体が、既に死語になりかけている。

本書を読んでみると、1980年代前半が実に濃厚な時代だったことを改めて認識する。私が初めてブロックくずしを目撃したのは、たぶん1977年だったと思う。1回20円だった。本書とは必ずしも一致しないが、コンピュータゲーム黎明期の出来事を年表風にまとめるとこんな感じである。

1976 ブロックくずし日本上陸
1978 スペースインベーダー
1979 ギャラクシアン、平安京エイリアン
1980 パックマン、ゲーム&ウォッチ発売
1981 ギャラガ、ラリーX
1982 ディグダグ
1983 ゼビウス、マッピー、リブルラブル、ドルアーガの塔、ファミリーコンピュータ発売(ドンキーコング、マリオブラザーズ etc.)
1984 パックランド、ギャプラス
1985 ドラゴンバスター、スーパーマリオブラザーズ(ファミコン)

わずか5年ほどの間に、まさに革命的な進化が起き、ゲーム史上に残る名作が綺羅星の如く現れたのだ。この熱狂に満ちた時代をリアルタイムで体験できたことはラッキーだった。それにしても、コンピュータゲームの歴史を作った、インベーダー、パックマン、スーパーマリオがすべて日本発であることは興味深い。

私は、ゲームが大衆化されるのに伴って、急速に興味を失っていった。1986年にファミコンのドラゴンクエストIが発売され、やがてそれは国民的な大ブームを巻き起こすことになるのだが、私はドラクエシリーズを一つもやったことがない。1986年以降のゲームの歴史は全くフォローしていないが、ハードウェアの性能は格段に進化したはずなのに、ソフトウェアとしてのゲームはどんどんつまらなくなっていった。

現在に連なる歴史には、個人的な体験が色濃く投影されるので、大局的に俯瞰することは困難である。けれども、本書を読んでみて、ゲームの世界の進化は1980年代前半の5年間に一気に起こり、基本的なデザインが出揃ってしまったという印象を強く受けた。それ以降は、マイナーチェンジしか起きていない。それはあたかも、Cambrian explosionにおいて、動物界のほとんどすべての門が短期間で一気に出現したかのようである。

1980年代の前半にはまた、様々な進化的な実験が試みられた。ゲーム&ウォッチとファミリーコンピュータのヒットの間に埋もれているが、「電子ゲーム」という過渡的に出現したカテゴリーがあった。それは、昭和を象徴するレトロな「ピコピコ音」に彩られた、ジャンクでありながらかなり高価な玩具だった。電子ゲームは濫造されたが、すぐに飽きてしまうので決して大ヒットになることはなかった。

そして、1979年にPC-8001が発売された後、1982-3年はPC-8001mkII、FM-7、X1、ぴゅう太などのいわゆる「マイコン」(死語)が一気に放散した時代でもあった。あるいは、「ポケコン」と呼ばれる関数電卓に毛が生えたような代物もあったし、「電卓ゲーム」なるものも少しだけ流行した。1980年代は、ナムコの黄金期であるとともに、ベーマガ(マイコンBASICマガジン)の黄金期でもあった。

秋葉原がオタクの聖地となり、「アキバ=2次元=萌え」とかいう謎の構図ができあがってしまったのは、20世紀の終わり頃だろうか。残念ながら私は、ジャンク屋が軒を連ねていた頃の秋葉原と、現在のアキバ(もしくはAKIBA)との過渡期を知らない。

本書に登場するゲームを実際にプレイしたことのある人でないと、この本は面白くもなんともないだろう。家庭用ゲーム機が普及する以前の過渡的な状況について書かれていないし、ハードやソフトのテクニカルな側面についても触れられていない。ゲームを開発した当事者ならば、もっとずっと面白いものが書けるだろう。それに、一プレイヤーの立場から書かれたものであるにしても、社会学的な考察も安っぽいように思われた。つまりは、もっと語るべきことがあるということだ。(11/09/25読了)

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