読書日記 2017年

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街道をゆく3 陸奥のみち、肥薩のみちほか 司馬遼太郎 朝日文庫 ★★★★☆

『街道をゆく』は、晩年のゆったりした文体も良いが、やはり初期の作品は切れ味鋭くて好きだ。

 肥後の国というまことに草原と火山と海を思わせる実感的な名称が、熊本県という官製の金気くさい行政区画名称になっている。
 肥後に隣接する薩摩の国という名称も、名を聞くだけでいかにも雄大な人文の歴史を感じさせるが、鹿児島県という官製名称では、明治式中央集権下の三等県にすぎなくなり、いかにも卑小で気の毒みたいである。

で始まる「肥薩のみち」は、白眉である。まさしく、薩摩藩といえば江戸期には独立国家のようであり、明治維新の立役者でもあったから、日本の中心になり得るポテンシャルをもっていたはずなのに、今や辺境の一県に成り下がってしまった。

薩長土肥(鹿児島・山口・高知・佐賀)はいずれも、県庁所在地と県名が一致している。
これは、明治政府がこんにちの都道府県をつくるとき、どの藩が官軍側につき、どの藩が佐幕もしくは日和見だったかを後世にわかるように烙印を押したからだという。福岡、広島、岡山、福井、秋田も同様である。
佐賀県など、あまりパッとしない小県という印象だが、これは佐賀藩出身の高官が藩の版図をそのまま県として残そうとしたためだ。
一方、金沢、仙台、盛岡あたりはわざわざ別の地名をとって県名としたし、官軍最大の敵だった会津は、県庁所在地にすらしてもらえなかった。南部に至っては、八戸を削り取って、宿敵である津軽に放り込んで青森県とした。

それでも、司馬遼太郎が歩いた1972年には、まだまだ日本は多様性の国だった。そういう、江戸期から連綿と続く地域間の確執を引きずりつつも、各地方が立派に矜持を保っていた。
なにしろ、当時はまだ、母親から西南戦争の体験談を聞いた人が存命だったのだ。今や、司馬遼太郎の足跡そのものが歴史である。(17/06/05読了 22/01/19更新)

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