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ダマバンドの登り方

ダマバンド Damavand دماوند(5,610m)は、イラン最高峰にして中東最高峰、かつアジアで一番高い火山である。さらに、地球上で12番目のプロミネンス(4,667m)を誇り、これはアジアではエベレストに次ぐ高さである。
イランは知られざる山国であり、実は4000メートル級の山々が100座以上もある。でも、イラン第二の高峰 Alam-Kuh は4,850mだから、ダマバンドが断トツで高い。
そのダマバンドは、富士山を一回り大きくしたような山である。少なくとも8月に登る分には、技術的な難しさはない。問題は、その高度である。

5000メートルを超す高度は未知の世界であったため、
①出発4日前に富士山登頂
②4000m、4500mに設定された低酸素室でのトレーニング(@ミウラドルフィンズ
を行った。しかし、何と言っても重要だったのは、登頂日前日に高度順応の日が設けられていたことだった。

今回、IranExplorationという旅行会社の、テヘラン発着4泊5日のツアーに申し込んだ。日程は以下の通り:

DAY1 テヘラン → Polour village (2,400m)
DAY2 Polour village → Goosfandsara (3,000m) 〜 ベースキャンプ (4,200m)
DAY3 高度順応
DAY4 SUMMIT DAY:ベースキャンプ 〜 ダマバンド山頂 〜 ベースキャンプ 〜 Goosfandsara → Polour village
DAY5 温泉 & テヘランへ

テヘランからの送迎、ガイド料、宿泊、食事、ミュールによる荷揚げ、パーミッションのすべてが含まれ、4泊5日で440ユーロだから安い。しかも、ゲスト3人に対してガイド3人という贅沢なツアーだった。
チーフガイドは、これまでにダマバンドに390回も登ったという、大ベテランのベイティである。私以外のゲストは、2人とも女性だった。ロシア出身、80ヵ国以上を訪問し、5言語を自在に操るマリアと、カタルーニャ語を母語とするスペイン人のフランである。

DAY1: テヘラン → Polour village

これがダマバンド

16もの登頂ルートがある

麓のPolour village

DAY2: ベースキャンプへ

Polour villageから車に乗って小一時間ほど行くと、駐車場がある。
そこでボロいジープに乗り換え、凄まじいデコボコ道をもうもうと砂埃を上げながら喘ぐように登っていく。途中で何度もオーバーヒートし、エンジンに水をぶっかけながら進む。

ここでジープに乗り換える

おんぼろジープでゆく

標高約3000メートル、Goosfandsaraというモスクのあるところに着いた。ここから登山の開始である。荷物はミュール(雄のロバと雌のウマの間の子)が運び、人間は最小限の荷物だけを担げばよい。

モスクのあるGoosfandsara。ここから登り始める

ミュールに蹄鉄をつける

荷物はミュールが運ぶ

ベースキャンプが見えてきた

何度も休憩を挟みながら、ゆっくりしたペースで登っていく。
4時間半ほどかけて、標高4200メートルのベースキャンプに辿り着いた。ここには立派な山小屋があり、水や食糧も売られている。ここまでは楽勝である。

山小屋で、先ほどダマバンドに登頂してきたという日本人カップルに会った。彼らと話し込んでいると、次第に頭がズキズキしてきた。恐れていた高山病の初期症状が現れたのだ。
そこで、ガイドに言われるままに、大量の砂糖を投入した紅茶をガブガブ飲む。すると、少し楽になった。
もし翌日が高度順応の日でなく、この状態で朝4時に起きて登頂しなければならないとしたら、かなりつらかっただろうと思う。

テントサイト

その夜はプライベート・テントで快適に眠る・・・はずだったが、暴風雨に襲われた。それでも私のテントは充分快適さを保っていたのだが、フランのテントが浸水したため、急遽山小屋に引っ越すことになった。しかし、引っ越しが終わると同時に、暴風雨は去っていった。
山小屋の部屋は湿っぽく、そこに置かれた二段ベッドは悲惨だった。寝返りを打つたびにギシギシと揺れ、壁にガンガンぶつかった。
ウトウトしたかと思うと、息苦しさで目が醒める。
しかも、日中紅茶を飲み過ぎたため、夜中に4回もトイレに行かなければならなかった。そのトイレが遠かった。小屋を出て、5分ほども真っ暗な山道を歩いていかなければならないのだ。
その夜はほとんど眠れなかった。

DAY3: 高度順応

雲海

ベースキャンプより。山頂は遙かに遠い・・・

翌朝になってみると、頭痛は去っていた。
この日は、4600メートルまでゆっくり登って、降りてくるだけである。
あとは、体力を温存するためにひたすら寝る。暇を持て余すだろうと思って本を何冊か持ってきたのが、実際のところ、この高度では能動的に何かをすることはできない。何もかもが億劫なのである。

こうして一つ一つハードルをクリアしていったが、高度順応を終えてベースキャンプに戻ると、不穏なニュースが飛び込んできた。
明日だけ、ピンポイントで天気が崩れるというのだ。雨が降っても登頂は決行するが、雷の場合は危険だという。予報によれば、明日は一日中雷だった。
こんなことなら、今日中に登頂を決行すべきだったのではないか・・・。

その日の夜も、雨に降られた。テントの中は寒かった。

DAY4: SUMMIT DAY

8時間近くもグッスリと眠り、3時40分に目が醒めた。外はゴーゴーと強風が吹き荒れている。しかし、気合いでテントから這い出すと、空には満天の星が輝いていた!
朝食をとり、5時10分出発。ガイドのベイティは、いつになく軽快なペースで登っていく。心拍数が上昇する。このペースで6時間歩き続けるのはつらいかも・・・と思う。でも、マリアもフランも涼しい顔で歩いている。
実は、私にとって、最初の登りが一番きつかったのだ。
やがて、マリアに異変が現れた。マリアは昨日も、ずっと頭痛に苦しんでいたのだ。

5000メートルを超えた。
路面が真新しい雪で覆われ始める。強風が吹きすさび、気温はどんどん低下する。
唐突に、フランがリタイアすると言いだした。フランはここに来る前に、テヘラン郊外にあるTochalという山(3964m)に登ってきた。一番元気そうだったのに、「あと3時間半も登らなきゃならないんなら、私はもういいわ」とか言って、ガイドのバティに付き添われてさっさと下山してしまった。
平地では機関銃のように喋りまくるマリアは、いよいよつらそうだった。

5000メートルを超える①

5000メートルを超える②

ベースキャンプははるか下

5千メートルを超えた世界は、死屍累々なのである。
Polour villageで、イラン在住の日本人に会った。その人は毎週のようにTochalに登っており、この度、ソロでわずか3日間でダマバンドを攻略したという。その人をして、5千メートルから先がキツかった・・・と言わしめた。
ベースキャンプで、ウラジオストクから来た屈強なロシア人の若者5人組に会った。彼らはここに来る前に、ダマバンドよりもずっと難易度の高い、グルジアのカズベキ山(5047m)に登ってきたという。だから、高度順応はバッチリなはずだった。その彼らも、バラバラになって路上に踞っていた。

では私はどうかといえば、高度を上げれば上げるほど、相対的に元気になっていったのである!
というのも、ガイドの歩くペースが、高度を上げるにつれて次第にゆっくりになっていったからだ。
呼吸は最初からずっと苦しいのだ。でも、低酸素トレーニングで教わった呼吸法をずっと続けていれば大丈夫。意識的に息を吐き切ることがポイントである。
むしろ、立ち止まると心拍が上がって意識が遠のきそうになる。ずっと歩き続けている方が楽だ。

黙々と登り続けるうち、周囲に硫化水素の臭いが漂い始めた。思い出したように「あと山頂までどれくらい?」とガイドに聞く。すると、「10分」という答え。え、たったの10分!? さっきは3時間半だったのに!
シューシューと不気味な音を立てて硫化水素が噴出する危険地帯を抜けると、そこが頂上だった。なんだか予想よりもあっさりと山頂に着いてしまった。
10時25分、ベースキャンプを出てから5時間15分だったから、悪くないペースだろう(標準タイムは6時間)。
終始苦しそうだったマリアも、無事に登頂することができた。逆に、頭痛を抱えたままでも登頂できてしまうところが凄い。

We did it!

Banzai!

ここが山頂

山頂のクレーター

山頂では、寒さは感じなかった。心配された天気も大丈夫だった。
40分ほど山頂に滞在して、下山開始。午後から雷が予想されたため、一刻も早く下山しなければならない。

激しく硫化水素が噴き出す

急いで下山

富士山の砂走りよろしく、斜面を駆け下りる。一週間前に富士山で予習したばかりなので、余裕である。下れば下るほど酸素が濃くなるのを感じる。
途中、マリアの持病の膝痛のため大幅にペースダウンしたが、もう危険地帯は脱したので、ゆっくりと下って行けばいい。
14時10分、雷鳴が轟く直前にベースキャンプに生還した。

すべてうまくいった。
温かい紅茶を飲んで一服してから、マイテントで一眠りする。
この日もベースキャンプのテントに泊まる予定だったが、17時過ぎに、急遽荷物をまとめてPolour villageまで下ることが決まった。一眠りして復活したし、一刻も早くシャワーを浴びたかったから有り難かった。
さらに3時間近くも歩き、とっぷりと日も暮れて周囲が闇に包まれるころ、Polour villageの灯りが見えてきた。

登頂後のパーティー(お酒はない!)

DAY5: 温泉 & テヘランへ

Larijan村の温泉街

イランの温泉

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