読書日記 2009年

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知的生産の技術 梅棹忠夫 岩波新書 ★★★☆☆

現代社会において、本書の実用的な価値はほとんどない。著者が提起した問題は、コンピュータの出現によって全て解決してしまったからである。しかし、知識人がかつて何を考えていたかを知る上では、本書は大変に興味深い。

「まえがき」を読み始めてすぐに、本書が非常に読みにくいことに気付く。ひらがながやたらと多いのである。「おおい」「おもう」「おしえる」「かく」「かんがえる」「かんたん」・・・こういった言葉が全てひらがなで表記されているから、難しい漢字を使わないようにしているということでもなさそうである。まるで小学校の教科書を読んでいるようで、イライラする。

本書を読んで、日本語にとって、ワープロの出現がいかに画期的であったかに気付かされた。
頭の中にあるモヤモヤしたイメージを一気に原稿用紙に写し取るという能力は、誰にでもあるものではない。今となっては、七転八倒しながら原稿用紙のマスを埋めていくという作業の困難さは、想像もつかない。
著者は、日本語タイプライターの使用を推奨している。といっても、ひらがなのみ、あるいはカタカナのみのものである。本書が出版されたのは1969年であるが、この当時はまだ、日本語表記の簡略化が真剣に議論されていて、著者自身もローマ字で手紙を書いたりしていたという。
日本語が、中国語のような奇怪かつ醜悪な簡略字体を採用せず、韓国語のように漢字の使用を廃止せず、ベトナム語のようにローマ字表記に転換せずに、ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字が入り乱れる世界一複雑な表記体系を保ったまま現代まで生き存えてきたことを、大変喜ばしく思う。
コンピュータ時代になった今、この表記体系はもう安泰だろう。むしろ、ますます複雑化する方向へ放散しはじめている。

著者は、「わたしは、たとえばコンピューターのプログラムのかきかたなどが、個人としてのもっとも基礎的な技能となる日が、意外にはやくくるのではないかとかんがえている」(表記は原文のまま)と述べている。そしてこれから、物質の時代から情報の時代へと移行してゆくことを、40年前に既に予見しているのである。
ただ、その著者にしても、コンピュータが文章を編集するというシステムは思い至らなかった。
東芝から最初のワープロ専用機JW-10が発表されるのは1978年のことである。価格は630万円であったという。
1980年代になると、ワープロは世の中に普及しはじめる。

著者の提唱した「京大式カード」というのは現在でもまだ市販されているらしい。この本が長年にわたり読み継がれてきたということは、文房具は意外に保守的だったことを示している。検索やソートは全てコンピュータがやってくれるようになったので、これはもはや骨董品的な意味しかない。
本書はほとんどその役割を終えたかもしれないが、その中で現代でもなお通用する部分は、「読書」についての記述である。(もっとも、読書論の本なら、世の中に掃いて捨てるほどあるが。)
曰く、本は二度読むべし。一度読んだら、しばらく積んでおいて、二度目は大事なところを押さえつつ短時間で読み直し、その内容を(カードに)纏める。
それは期せずして、私がここで実践していることであった。(もちろん、カードは使わないが。)また、著者ほどの偉大な学者が、1年で読める本はせいぜい100冊が限度、と言っているのには希望を感じた。(09/04/15 読了)

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