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悪魔が、バスクの娘を誑かそうとしてバスクのくにに7年間滞在したが、覚えられたバスク語は「はい」Bai と「いいえ」Ez だけだった、というジョークがある。ヨーロッパでは、バスク語の難しさはそれほど有名である。

バスク語は、ネアンデルタール人 Homo neanderthalensis の言語だ、というジョークもある。ネアンデルタール人はかつてヨーロッパ一円で現生人類 Homo sapiens と共存していたが、次第に勢力範囲を狭められていき、2万8000年前、イベリア半島の先端で姿を消してしまった。
実際のところ、バスク語はインド・ヨーロッパ語の海の中に浮かぶ孤島であって、系統的に類似した言語は存在しない。バスク語は、3000年におよぶ印欧語化の波に抵抗して生き残った、西欧における唯一の前印欧語的言語なのである。

一体どこがどう難しいのだろうか、と思って勉強してみると、なるほどこれは唖然とするほど難しい。その特異性は、能格構文と多人称性にある。(もっとも、似たような特徴をもつ言語は実は世界には沢山あって、メジャー言語の中にそれがないのは単なる偶然である。)

能格構文というのは、目的語として主格が置かれ、主語として能格が置かれるような文のことである。

1. Aita irakaskea da. 父は教師だ。
2. Aitak etxea du. 父は家をもっている。

ここで、主語はどちらも「父」Aitaであるのに、1(自動詞の主語)では主格であり、2(他動詞の主語)では能格Aitakとなっている。daは「〜だ」である(例:Kori bakkarik da. こればっかりだ。)。
duは「もつ」ukanの目的語が3人称単数の場合の直説法現在3人称単数形である(下記参照)。
日本語でも、例えば「私は妹をもっている」という代わりに「私には妹がいる」となって「妹」が主格になるのと何となく似ている。ただし、バスク語ではあらゆる他動詞に対して、目的語は主格となる。
ちなみに、バスク語には格が13個もある。

問題は多人称性であって、これは、おそらく目的語が文の主役であるような性質と分かちがたく結びついている。普通のヨーロッパ語では、動詞が、主語の人称に応じて変化する。多人称性とは、動詞が、主語だけでなく目的語の人称によっても変化するという恐るべき現象である。

Hi maite haut. 私はきみをを愛する。
Hik ni maite nauk. きみは私を愛する。
Hik ni maite naun. きみ(女性)は私を愛する。
Nik zu maite zaitut. 私はあなたを愛する。
Nikzuek maite zaituztet. 私はあなたたちを愛する。
Hik naska maite duk. きみ(男)は少女を愛する。
Hik mutila maite dun. きみ(女)は少年を愛する。

maiteは「愛」であり、haut, nauk, naun, zaitut, zaituztet, duk, dunは「もつ」ukanが主語と目的語の人称に応じて(原型を留めないほどに)変化したものである。
目的語の人称標識(N, H, D, ...)は語頭に来て、主語の人称標識(-t, -k, -n, -0)は語末に来る。主語と目的語がそれぞれ 私、きみ、彼(彼女)、私たち、あなた、あなたたち、彼ら、であるのに応じて7通りの変化があるから、一つの動詞が49通りに変化することになる。
どうです、嫌になったでしょう?

しかし、話はこれだけでは終わらない。「与える」という動詞に至っては、「誰が」「何を」「誰に」という3つの人称を動詞に組み込まなければならないのだ!
「彼は私にそれを与える」なら ematen dit、「私はあなたにそれを与える」なら ematen dizut、「あなたは私にそれらを与える」なら ematen dizkidazu、という具合(「誰に」の人称標識は語の中央(!)に組み込まれる)。
つまり、73 = 343通りもの華麗な変化を遂げるのである。
以上に加えて、過去・半過去・現在完了・未来などの時制と、命令法・可能法・条件法・接続法などの法による活用もある。それらの組み合わせを全て考慮すると、一体一つの動詞が何通りに変化するやら、考えるだけで恐ろしい・・・。

* * * * *

という訳で、私はバスクのくに Euskal Herria に行くことにした。

バスク人ほど、自らの言語に誇りを持っている民族はいないのではないだろうか。
バスク語は、確かに人々の生活の中に生きていた。ローカルバスで立ち寄ったAreatzaという小さな町の博物館では、先生が子どもたちにバスク語で説明していた。Bilbo(スペイン名 Bilbao)へ向かうバスの中で、ベレー帽を被った老人がバスク語会話に興じていた。Donostia(スペイン名 San Sebstian)ような大きな街でも、お母さんとバスク語で話している小さな女の子を見かけた。本屋さんにはバスク語の本が沢山あって、あらゆる科目のバスク語の教科書が揃っている。
Gipuzkoa、Bizkaia、Araba の3県では、標識はすべてバスク語とスペイン語の二言語表記になっている。すべての住民がスペイン語を解するので、情報伝達のためだけならバスク語は要らない。たった60万の話者数で、東京で言えば一つの区の人口程度なのに、ここまでして強固に自らの言語を守り抜こうとするパワーはどこから出てくるのか?
それを知りたいと思ったが、私のあまりにも貧弱なスペイン語力では無理な相談だった。(08/08/28)

参考文献:『バスク語入門』下宮忠雄、大修館書店

Donostia 駅のバスク語の案内板

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