読書日記 2011年

Home > 読書日記 > 2011年

人は放射線になぜ弱いか 第3版 近藤宗平 講談社ブルーバックス ★☆☆☆☆

問題の多い本である。「少しの放射線は心配無用」という副題が付いていて、本題と矛盾しているように見える。それはなぜかというと、どうやらこの著者は、改訂を重ねるごとに立場を変えていったようなのだ。Wikipediaより引用する。

<1998年に出版された第3版『人は放射線になぜ弱いか 少しの放射線は心配無用』ではさらなる改訂が行われ、(・・・一部略・・・)章のタイトルも、第2版「Ⅲ章 人体は放射線になぜ弱いか」から第3版「Ⅲ章 人体は放射線に弱くて強い」へ、第2版「Ⅵ章 原発事故放射能恐怖症に安らぎを」から第3版「Ⅵ章 原発事故放射能にびくともしない人体」へと変更した。節のタイトルも、2版から3版への改訂では、Ⅱ章6節は「胎児期は放射線に弱い」から「胎児は放射線に弱いが少しならびくともしない」へ、Ⅱ章7節は「放射線による遺伝的影響」から「放射線による遺伝的影響は心配無用」などの変更が行われた。>

原発を推進すべきかどうかというポリティカルな問題と、放射線のリスクというサイエンスの問題は、別々に議論すべきものである。しかしながら、本書の中で著者は明確に原発推進を主張しており、中立な立場の人間でない。だから、著者は自説に都合のよいデータだけを示しているのだろうという猜疑が湧く。

実際のところ、本書は放射線リスクに関するレビューからはほど遠いものである。まず、掲載されたデータがかなり古い。微量の放射線が有害か(放射線リスクに閾値があるか)どうかということに関しては、肯定的・否定的データの双方があり、証明されたとはとうてい言い難い。ましてや、放射線の「ホルミシス効果」は、議論の余地の大きい仮説である。

疫学研究は対照実験を行うことができないから、交絡因子が極めて多く、その結果には解釈の入り込む余地がある。とりわけ、放射線のリスク評価は、喫煙のリスク評価などと比べると、解析に使えるサンプル数があまりにも少ない。「仮説Aを支持するデータがある」と「仮説Aが証明された」とは全く異なるものである。物理学における「科学的事実」と同列に論じることはできないのだ。

にもかかわらず、2011年4月1日に発行された第6刷において、著者は「今回の被ばくは生命に危険を与えることは全くありません」と断言している。なぜ、事故の全貌も明らかになっていない段階で、こんな無責任なことが言えるのだろうか?原発に賛成するか反対するかは個人の自由であるが、どうもこの著者からは、科学者としての良心を感じることはできない。

本書はまた、読み物としてのできも悪く、非常に読みにくい。読者を煙に巻くために、重箱の隅をつつくような些末な説明を意図的に加えているかのようである。もう一つ、これは容易に改訂できることなのだが、ラド、レム、グレイといった様々な単位が入り乱れて、分かりにくさに拍車をかけている。すべて「シーベルト」に統一すべきだ。(11/12/24読了)

前へ   読書日記 2011年   次へ

Copyright 2011 Yoshihito Niimura All Rights Reserved.